ひらりちゃん
history 2025/5/11
[ひらりちゃん]虹の橋を渡りました
今日は悲しいお知らせになります。
4月15日に愛護センターから迎えていた15才の[ひらりちゃん]本日朝、虹の橋を渡りました。
収容されたのは1月中旬、収容中の3月末に多飲多尿の症状があったとのことで血液検査で腎臓と肝臓の数値が悪かったのは確認されておりその上で引き出しをしていました。
引き出ししたその足で病院へ、血液検査をして便検査、駆虫をしていました。
私がした血液検査は収容されていた時の腎臓疾患の数値より少し悪くなっていたのと肝臓がとても悪くなっていましたので肝臓の薬ニチファーゲンと腎臓の薬セミントラからはじめました。
収容間の投薬の記録がないことから投薬はどの程度からできるのか分からないことからこの薬ではじめることを選択しました。
比較的投与量が少ないので徐々に粒が大きいものにと薬を変えていくことを検討としました。
どちらも飲めることからその10日後4月25日から腎臓薬は大きな粒の腎臓薬ラプロスに変えていきました。
25日には1カ月後に血液検査をしましょうという話となっていました。
5月2日には先生と相談の上ラプロスに変更となり2日〜ラプロスになりました。
その時に輸液も早めにという話でまとまっていましたがまずはラプロスが飲めるのか、輸液の話もしてましたが数値が云々ではなく、食欲が落ちてきたり、吐き気がでてきたり、腎臓の数値だけで判断せず他の血液検査の項目と色々な症状を総合的に見てはじめていきましょうということとなりました。
5日は子供の日で特別だよとおやつをあげてその数日は他の猫に喧嘩をふっかけて飛びかかるくらい動いていて投薬も騙されて飲めており、体調の悪さも感じませんでした。
6日、腎臓のウェットフードを替えて舐める程度、他の子も好きではないフードだったのであまり美味しくないんだなと思いながら、でも投薬はちゅーるに混ぜて変わらず食べていました。
7日も同じ、8日には腎臓の薬を変えてから初めて薬を残していて、ラプロスがバレだしたんだなと思い2回に分けて混ぜて出しました。
少し舐めてはいました。
8日に急に口の匂いかな?と腐敗臭のようなものを感じました。前歯がほぼほぼ抜けそうだったのでそれかな?口内炎ができたかな。歯肉炎かな?のように思っていました。
9日は普通のウェットフードは少し食べ、投薬は残しました。
一旦様子を隔離して観察しようと思い捕まえようとしましたが威嚇をしながら逃げてそのまま手の届かないところに避難していました。
今考えると逃げた先が冷たいとこだった。朝まで冷たいとこにいました。
今思えば身体を冷やしていたのかもしれません。
10日、朝方初めて吐いて尿毒症の吐き気がでてきたのかも。と思い、尿はしていると確認。 ちゅーるに混ぜた投薬を与えましたが口をつけなかったので指で口に運ぶと大きな口を開けて威嚇したのでこれはチャンスと思い薬を放ろうとしましたが噛み付いてきそうだったので断念。
朝いって来ますと言っていつもは触れない身体を少し触ることができました。
帰ったら病院へと思いながら出発。
帰ってきてまた触ったら威嚇はするものの撫でることが出来たので病院へ行きましたが時間外でした。
帰ってきて隔離をしてホットカーペットを敷いて観察をしていましたが威嚇しながらも触らせてくれる[ひらり]を見て危篤なんだなと察しました。
それからは早かったです。
呼吸は浅くなり、私の顔があった場所を一点集中し、目は空いたまま。
瞳孔の伸縮はないものの触ると唸っていました。
最後まで人が怖いんだな。と。15年もどんな飼われ方をしたんだと。
知らない前の飼い主を想像し怒りながら撫でました。
11日早朝、トイレに行ってそこで力尽きたのかおしっこした上にうずくまっていたのでホットカーペットの上に移動しました。
10時少し前くらい呼吸が早くなり足をバタつかせてまるでそこから逃げたいとしている様。でもそれはほんの数秒であとはそのままゆっくりの呼吸のままピクリともせず深い呼吸をしてゆっくりと終わっていきました
ねこ活に来てから25日目。
とても短い間しかママをさせてもらえなかった。
後悔はどの子を見送っても変わらずあります。
[ひらり]もそう。
もう少し早く引き出していたら
最初からラプロスをスタートさせていれば
ご飯の種類を変えるタイミングがその日じゃなければ
輸液をしていたら
1ヶ月も待たずに血液検査をしていれば
無理くりにでも薬を飲ませられたら
無理にでも口にウェットを入れてあげれてたら
あの時すぐに隔離してよく観察していれば
譲渡会にいかなければ
病院に行ったら
タラレバを叶えられたら私は何か変えられたのだろうか
何か変わったのだろうか
元気だったのに。とみなさん言うかもしれません。
元気に見せていた。んだと思います。
知らないとこに来て、知らない人に世話されて、知らない猫がいて、ストレスも要因の一つだったかもしれない。
ただ一つ私が思うのは人馴れしていたらどんなに簡単だっただろう。
きっと治療の選択肢も広がって、もう少し見てあげれたし、治療も早くからできたのかも知れない。
飼い主が責任もって最初から適正飼養をし、フードの管理をし、検査や投薬がもっと早くからできていたら。
タラレバをいくら言ってもその時は戻ってこない。
全ては、飼い主とその家族、行政と私の罪なんだと思います。
安らかに。次は猫には、動物には産まれてこないでね。としか私には思えません。
明日は火葬です。
力不足でごめん。[ひらり]
これをもってご寄付、ご支援、応援くださった方々にご報告とします
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